昭和10年3月20日の興味深い新聞記事など
東京朝日新聞 昭和10年(1935年)3月20日 水曜日 丙 11面
外交官試験 改正
外交官試験 制度の 改正に 関しては 既に 外務省 能率 委員会に おいて 大体の 方針を 決定。19日の 外交参議会に おいて 更に 具体案を 練ったが 法制局と 打ち合わせの上、本年度の 試験より 実施せられる 筈で ある。
上記新聞記事では、本年度の試験より実施されるように書かれている。私の理想では
試験制度の改正時は、少なくとも、3年間以上の周知期間を、受験生に与えるべきである。なぜならば、そうしないと、受験生が、非公式の情報を求めて、右往左往することになり、受験生が大変だからである。
と思っているのは、いうまでもない。
東京朝日新聞 昭和10年(1935年)3月20日 水曜日 丙 11面
軽井沢 別荘 荒し 近衛公等 多数 名士に 被害 バルチザン 3人組
【上田 電話】長野県 軽井沢町 鳩山 一郎 氏の 別荘内に 潜伏して 本月 初旬から 付近の 近衛 貴族院 議長、林 満鉄 総裁、戸田 子爵、関(←漢字がつぶれていた。別な漢字かもしれない)屋 元 宮内次官、澤田 謙助、田中 穂積 博士 その他 名士の 別荘 10数ヶ所を 荒し、同町 消防組の 警戒網を 巧に 変装して 潜りまわり、更に 同町 千ヶ瀧の 東京商科大学長 佐野 善作 氏の 別荘を 根城と し 付近 50余ヶ所、その他 北軽井沢など 10数ヶ所を 荒し廻った 犯人に ついて 軽井沢署では 躍起で 見(←漢字がつぶれていた。別な漢字かもしれない)探中、19日 午前 11時頃 群馬県 吾妻高原を 高津方面へ 逃走せんと する 3名の 男を 取り押さえ 引致 取調の 結果、栃木県 上都賀郡 今市町 M男(24・男性)(満22~23歳) 山形県 西村山郡 白岩町 M(24・男性)(満22~23歳) 新潟県 南魚沼郡 城内村 字藤原 K三(31・男性)(←51かもしれない)(満29~30歳 or 満49~50歳)と いい 3名は 自ら バルチザンと 称して 全国各地の 別荘地を 荒らし廻り 既に 百余件の 犯罪を 自白して 居る。
鳩山 一郎 氏(1883~1959)は、後に、内閣総理大臣に就任した。その在任期間は、1954年(昭和29年)12月~1956年(昭和31年)10月である。
そして、鳩山 一郎 夫人は、鳩山 薫子 氏である。鳩山 薫子 氏の1913年(大正2年)9月頃の家計簿を知りたかったら、下記サイトがお薦めである。
http://www.warbirds.jp/heiki/kakeibo.htm
また、東京商科大学は、一橋大学の前身である。その詳細は下記サイト参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%A4%A7%E5%AD%A6
東京朝日新聞 昭和10年(1935年)3月20日 水曜日 丙 11面
意見されて 自殺
19日 夕 大森区 大森 鍛冶職 M(男性)方で 同人の 弟 K男(28)(満26~27歳)が 猫いらず自殺した。同人は これまで 不良性を 持ち 家を 飛び出しては コックなどして 転々、行く先々で 失敗、その 尻は いつも 兄が 拭っていたが 今度も 1年振りで 帰宅 兄夫婦、弟が 同人を 取巻いて 意見し 一家の 者が 親類に 相談しようと 皆 外出し ひとり 留守居中の 自殺であった。
東京朝日新聞 昭和10年(1935年)3月20日 水曜日 丙 11面
7円で 心中 哀れな 老夫婦が・・・
19日 午後 2時半頃、牛込区 神楽町に 碁会所と 洗い張り業を 営む 孤独の 老夫婦 Y本 R助(53・男性)(満51~52歳) 内妻 O澤 R(68)(満66~67歳)が アイロン用の パイプを 開放し、枕元に お題目を 書いたものを 拡げ 首に 数珠を かけて ガス心中を 企て、老妻は 絶命、R助のみ 苦悶中で あったのを 発見 同町 T診療所に 収容されて 同人は 助かる。子供なく 生計困難、加うるに Rが 永年の 半身不随症が 原因らしく、家主 品川区 T男宛て 遺書あり。
15年来の 借家だが 23年間 家賃滞納を 続け、最近の 分と して 月 22円の 中を 去る 15日に 15円を 入れ 残り7円は 20日に 払う 約束を し その 7円に 困っての 心中で あった。
東京朝日新聞 昭和10年(1935年)3月20日 水曜日 丙 11面
釣鐘 泥棒
19日 夜 8時頃 浅草区 M 仏具店前に 陳列してある 青銅製 釣鐘 1つ(重量 4貫、代金 25円)を 店員の 隙を 窺って 抱え込み、そのまま スタスタと 逃げかけた 泥棒が あった。店員 3名と 野次馬が 追い駆けると 泥棒は 慌てて 同店 裏手 新築中の 家屋 押入れの 中に 釣鐘を 抱いて 逃げ込み、追跡隊の 為に 引っ張り出されると 海軍ナイフを 振り回して 威張り返った。結局 多勢に 押えられ 菊屋橋署に 突き出されたが 17日 巣鴨刑務所を 出た ばかりの 剽盗 前科 16犯 B三(52・男性)(満50~51歳)と いう ○つ払いの(←漢字がつぶれていたので、記号で入力した) 腕利き。
東京朝日新聞 昭和10年(1935年)3月20日 水曜日 丙 11面
母の 前で 轢死
19日 午後 3時半 渋谷区 幡ヶ谷 笹塚町 旋盤工 N宅 S朗(男性) 長女 T子(3才)(満 1~2歳)は 母 H(28)(満 26~27歳)に 連れられ、自宅裏の 京王電車線路を 距てて 遊んでいた 兄の K雄(6才)(満 4~5歳)を 呼びに 行こうとし 母親の 手を 振り切って 線路内に とび出した 瞬間 新宿発 電車に はね飛ばされて 即死した。
ところで、新聞記事の著作権は原則として、公表後50年であるらしい。そのへんに関しては、下記サイト参照。
『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E3%81%AE%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%9C%9F%E9%96%93
なお、このブログ記事に関しては、自由に使用してよいものとする。また、特殊な漢字や文字が用いられていたが、現在、一般的に用いられているであろう漢字や文字に直して載せたことも念のため、断っておく。
ちなみに、東京朝日新聞は、大阪府立中央図書館でコピーしたものを手入力したものである。
また、原文には、実名、詳細な住所などが記載されていたが、プライバシー保護のため、省略したり、仮名にしたり、ぼかしたりした。
なお、戦前の新聞の年齢表記は、数え年であり、満年齢は、数え年から、1 または 2低くなるが、イメージしやすいように、数え年の後ろに、推定される満年齢を付け加えた。